自分勝手な人生観

生きる
生きると言いつつ
生きている
korohiratto
自分の意思や都合で生まれてきたわけではないのに、自分の勝手で生きようとするから無理になります。
しかし、現代は合理的な理屈で全てを理解しようとする社会ですから、何事も理屈で納得しようとします。
だから生きているだけでは意味がないというので、生きているということは何かを常に考えることが強いられます。
その結果、自分勝手な人生観で生きることになります。考えるのは自分自身の発想だからです。
そして常に他人と比較することになります。そこに「みえ」が働くのです。優れていると思って励み、劣っているとおもっては落ち込むのです。
でも実際には自分の意思に反して自然は全体との調和の上で生かしてくれているのです。それに気づかないから常に生きる生きると意識していて疲れるのです。

堂々と生きる

ちから
比較ばかりでは
こわくなる
korohiratto
人生は勝負だといわれます。
だから人生に勝つことが人の生きる価値になります。
しかし、誰を見ても自分よりも立派に見えます。
それに勝つための努力こそ自分の生きがい。


その努力には限りがない。どこまでいっても負かされる。
人と比較することが、こんなにもこわいものか。


誰が何処でどんな生き方をしていても結局は一つの地球の上で生きている。
その事実を知ると自分は自分として堂々と生きられる。

自分勝手な社会

やがて
飽き飽きしてくる
人気もの
korohiratto
熱狂的な人気も、やがては覚めてしまいます。
好き嫌いや損得、勝劣など比較を根底にした判断は、狭く浅いので熱狂的な人気も長くは続きません。
実は今の社会が「よく」や「みえ」といった自分勝手な判断で成り立っているので、当然、狭く浅い認識の世界ということになります。
たとえボランティアなどと無償の愛による活動のように見えても、その結果を世に高い評価で見てもらいたいのが本音のようです。
その高い世の評価が活動を進めていくための原動力になっているからです。誰にも認めてもらえない活動なら程なくやめてしまいます。
それほど現代は自分勝手な社会になっているといえます。

エレクトーン

ヤマハ
コンサートなんだ
音ばかり
korohiratto
エレクトーンという楽器は、様々な曲想をプログラムしていて、後は演奏者がキーを叩けば指定された曲想の演奏ができるようになっているようです。
だから誰が弾いても同じ曲想が流れます。
しばらく聞いていたが、やがて飽きてきて席に空きが目立つようになりました。
はじめからカタチが決まったプログラムには魅力がなくて当然でしょう。
「こころ」そのものにはカタチがない事実を認めると、常に新たな可能性が実現しますから飽きることがありません。
目に見る自然の現象は、その事実を明らかに示しているのではないでしょうか。

所願満足

自然
何でもあるから
満ちている
korohiratto
自然には始まりも終わりもありません。だから特定のカタチでは表せません。
そこで単純に「なんでも」あるとします。
「なんでも」あるのだから欠けるものがなく全ては満ちています。
それなのに人は、なぜ不平不満で満足していないのでしょうか。
恐らく理屈で全てを納得しようとしているからでしょう。
しかし、理屈のために自然があるはずがありません。
自然の範囲を此処から此処までと限定することができないからです。
だから宇宙の果てまで自然なので、その全てを知り尽くすことは永遠にできません。
そこで「こころ」そのものにはカタチがない事実を認めると、どこにも境がないので自然のすべてが、この身に働きます。
だから生涯、所願満足で生きていけます。
プロフィール

Author:koromite
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR